2013年09月06日

言い方ひとつでやる気が違う

kyouikuzukan.jpg 読売新聞ほうむたうん 2010年8月号掲載

「うちの子だんだん言うことを聞かなくなって…」

よく聞く言葉です。
小学校も高学年になってくると、親の注意に対して「いちいちうるさいなぁ」などと
言い返すことも多くなってきます。
親は心配して言っているのに、怒り出したりします。

一方、子どもの立場からすると、自分のペースとは無関係に、
いつも「なにやってるの、早くしなさい」と言われるわけです。

例えばすっかりやり忘れていたことを指摘された場合、
子どもは自分でも悪いと思っていても、顔を合わせるたびにそこを言われるので、
そのうち顔を合わせること自体がイヤになります。

また、既にやった、もしくはやろうとしていたことを指摘された場合、
頭ごなしに「なんで○○しないの」なんて言われたら、どんな気分でしょう。
せっかくのやる気がどんどん無くなっていき、反感が生まれるかもしれません。

とは言え、子どもの顔色ばかりを気にして何も注意しなければ行動は治りません。

そんなときに私が小学校でよく使う方法を紹介しましょう。

以前は事前に打ち合わせする方法を紹介しましたが、
今回は、「見直す、促す、認めてほめる」という方法です。

1 … 見直す
 今自分は何をしているのか、本当は何をしたらいいのかを見直させます。
「早く宿題をしなさい」といわれるより、「今日は宿題はあるの?」と
聞いた方が少し優しく聞こえます。
まずは笑顔で接することです。そして、「今日の予定は?」でもいいし、
「今、あなたはなにをやっているの?」でもいいのです。
まず、子どもに見直す機会を与え、発言のチャンスを与えることが大事です。

2 … 促す
「今、ぼくは○○をしているんだけれど…」「何か忘れていない?」
 本来やるべきことを考えさせ自分からやるように促します。
ここで怒ったり、命令口調になってはどうしようもありません。
きちんとした答えが返るまで、根気良く待ちましょう。
要領を得ない時は、「宿題を忘れていない?」とか「○○や△△をどうするの?」など、
例を挙げたり、選択肢を出して、答えを言わせます。
子どもがわかっているのか、そうでないのか、ほかに言い分があるのか確認したら、
「じゃあ、どうしたらいいの?」とか、「どういう順番でやるの?」などと聞いて、
自発的な行動を促します。
「じゃあ、○○をやるよ」とか、「その後にそれをやるよ」など、
とにかく自分のやるべきことを、自分で考えさせ、自分の口からはっきり言わせることです。

3 … みとめてほめる
子どもが、自発的にやり始めたら、その様子をよく観察します。
そして、どこかよいところを見つけて、認めてやり、ほめてあげます。
「すぐに始めて、えらいわねえ」でも、「自分だけで最後まできちんとできたじゃない」でも
なんでもいいんです。それが、当たり前のことでもほめましょう。
親とコミュニケーションがうまくとれ、最後には必ず笑顔やほめ言葉が待っている、
となれば、子どもも親をけむたがることがグッと減ります。
その場の思いつきや、否定的な言い方、命令口調は控えましょう。

叱られ、命令されて動く子どもより、親の笑顔に支えられ、
やる気でがんばる子どもの方がいいに決まってます。
posted by カメ先生 at 15:26| Comment(0) | 生活

2013年04月17日

集団遊びの育てるもの

kyouikuzukan.jpg 読売新聞ほうむたうん 2010年5月号掲載


前回に引き続き、遊びによって育つもの、また、
私が効果的に使っている遊びをご紹介しましょう。

私は理科の授業で新しい教材を使う時、
時間の許す範囲で1〜2時間程、遊ぶ時間を作ります。

たとえば、『てこ実験機で遊ぼう』は、じゃんけんで勝つと、
おもりを増やしたり動かしたりして傾きを競います。

『振り子で遊ぼう』は、振り子で1分計をつくったりします。
ほかに、ブドウの色素液を自由に反応させてグラデーションを作るなど、
とにかく単純なルールで子どもに遊んでもらいます。

教科書の内容と直接関係のないことでも、遊びをうまく取り入れると、
学習の理解度が確実に上がるからです。

具体的にどこが違うのでしょうか。

まず第一に、十分遊んでいる子どもは器用さが違います。
遊びながら実験器具の特性を体験済みなので、
最初から手順よく、器用に実験器具を使いこなせます。
実際に、はさみがうまく使えない、まっすぐな線がかけないなどの不器用さが、
学習の障害になることも、よくあるのです。

第二に、生きた知識が手に入りやすくなります。
友だちと競いながら、コツや工夫を体得できるからです。

思えば、私の子どものころは、
昆虫採集をするにしても採り方や飼い方が書いてある本など身近にはなく、
もちろんインターネットもありませんから、
まず友だち同士で集まって、いろいろ試してみたり、
情報交換から始めたものです。

くわがたの取れる場所、かにの穴の見つけ方、
はぜの釣り方など、同じノウハウでも、
自分で苦労して手に入れた情報は有り難味が違い、決して忘れないものです。

そして、第三に応用力がつくのです。
使い方の手順を遊ぶうちに覚え、失敗しやすいポイント、
うまくできるタイミングなどもわかってくるので、
だんだん原理などもつかめるようになってくるからです。

今の世の中は物や情報があふれ一見豊かに見えますが、
子どもたちの体験はかえって減っているように思えます。
友だちとワイワイ言いながら、自然の中で何かを探したり、
いろいろな道具を使いこなして遊ぶことは、
科学的思考の基礎となっていくことなのです。

いろんな遊びを、ダイナミックに体験させましょう、
情報や知識からでは学べない、大切なものが確かにそこにあるのですから。




posted by カメ先生 at 10:32| Comment(0) | 生活

2012年12月09日

ボランティアの第一歩

kyouikuzukan.jpg 読売新聞ほうむたうん 2009年12月号掲載



 最近は小中学校でも勤労奉仕の体験をさせたり、
障がい者や老人ホームの施設にボランティアに行ったり、
多様な活動を行っているようです。

介護の仕事や海外の恵まれない子どもにも、
いっそう目を向けるようになり、意識も高まってきています。

 しかしその一方で、「自分さえよければあとはどうでもいい」とか、
「人の嫌がる仕事はなるべくやりたくない」という、
自己中心的な傾向も子どもたちの中に増えているような気がします。

 施設や海外に目を向けることも大事ですが、私は少し順番が違うのでは?と思うのです。
まずは、友だちや、家族など身近な人間関係の中で、
人のために動くことがボランティアの第一歩ではないのでしょうか?

 日頃子どもの様子をうかがっていると、よく次のような場面を目にします。

 例えば、一生懸命遊んでいるときは協力しあうが、
いざ片付ける時になると互いに仕事を押し付け合い、さっさと帰ってしまう。
班活動をするときに、プリントを取りにいったり、
実験の準備をすることをやりたがらず、弱い子に押し付ける。
これは、成績の良い悪いなどに関わらず、どこのクラスでも見られるのです。

 このようななんでもないことが出来ないで、
誰が他の人たちに手を差し伸べられるというのでしょうか。

 私たち大人は、つい子どもたちに、静かにしていなさい、みんなと同じことをしなさいと言いがちです。
その結果、おしゃべりをしない、みんなと違うこともしない、
でも、面倒なこともひとり目立つこともしない、
自分を犠牲にするようなことも一切しない子どもを生み出しているような気がしてならないのです。
 おとなしく、じっとしていれば叱られないし、
よけいな仕事をもらって損をすることも無い「なにもしないよい子ちゃん」になっているのです。

 人の嫌がることや、自分を犠牲にすることも、決して損をすることばかりではありません。
子どもだって充分人の役に立ち、その結果、成就感や充実感を得ることができるのです。

 無駄なおしゃべりをせず、みんなと同じことができるようになったら、
さらに次のレベルを目指して、人に役立つことも進んで出来るようにしましょう。
他人を思いやり、自分から進んで行動することこそが、ボランティアの第一歩なのですから。
posted by カメ先生 at 11:46| Comment(0) | 生活