2012年12月09日

エコの心 2

kyouikuzukan.jpg 読売新聞ほうむたうん 2010年3月号掲載


私は、5才の時に父を急病で亡くし、
小学校入学の年に今住んでいるところに引っ越して来ました。

その前に住んでいた杉並区高円寺の商店街とは
あまりに違う環境に戸惑うことが多過ぎました。

すぐ裏にはわらぶき屋根の家があり、牛を飼っていました。
周りには、桑畑と麦畑が広がり、ドブのかわりに用水路が町中を流れていました。

とにかく驚いたのは、生き物の多さです。
用水路のどこを見てもカエルや水生昆虫がたくさんいるし、
夜になると、ものすごい数の蛾や甲虫が飛んできました。

学校や塾の帰りには、沢ガニとりやザリガニ釣り、
カエルやいろいろな虫を取るのが楽しくて夢中になりました。

ところが、忘れもしない小学2年の梅雨のころでした。
それは突然何の前触れもなく起きました。
町中で一斉に農薬を使い始めたのです。

あれほどたくさんいた水生昆虫がまったく姿を消しました。
ゲンゴロウ、タイコウチ、ミズカマキリなどいっぺんにいなくなりました。

特にくるくる回りながら泳ぐミズスマシは何種類もいたのに残念です。
カラス貝やトノサマガエルもみるみる姿が減り、
蛍のうわさも聞かなくなり、夜の虫もめっきり減りました。

森も田んぼも用水路も変わらずにあったけれど、
それまでとは違う場所のように思えました。
とてもさびしかった思い出です。

一時的に、生産効率を上げたり、そのときの収穫を増やしたりする方法はいろいろあるのでしょうが、
気をつけないと、失うものは大きいのです。失われたものは二度と戻りません。

「エコで大事なことはなんですか」と聞かれたことがあります。
大事なことはいろいろあるけれど、ひとつに「循環」があります。
無駄にせず、繰り返し、いつまでも続いて行くことです。
循環がうまくいけば、何も失われず、何もゴミにさえなりません。

今、農業体験などが見直されて、土に接する機会も増えてきているようです。
中にはコンポストやミミズを使った堆肥作りをして、
土作りなども体験しているという例も聞きます。
土から生まれ、土にかえす。
ちょっと工夫すれば、家庭菜園がすばらしい循環の学習の場になります。

大切なものをこれ以上何も失わないように、循環型のエコを体験させてあげたいものです。
posted by カメ先生 at 11:52| Comment(0) | 日記

エコの心

kyouikuzukan.jpg 読売新聞ほうむたうん 2010年2月号掲載


今から20数年前、私は教え子たちを連れて、学校の近くの多摩川に行きました。
今でもよく覚えていますが、夏の暑い日で、川辺は日陰もなくて、
生臭く、水辺はハエがたかっていました。橋の上から川の中を見ると、
大きなコイがゆらゆらと泳いでいる以外に生き物は見えず、
空き缶やタバコの吸殻などもひどく、子どもたちもうんざりした顔をしていました。
子どもたちに、理想の川にするには?と聞いたら、出てきたのは次の3つでした。

1…水をきれいにする 2…ゴミをなくす 3…生き物を増やす。

さて、それから20年。多摩川は大きく変わりました。
羽村取水堰から流れる上流からのきれいな水が増え、下水処理が進み、
魚道が多数整備されました。
その結果、水はきれいになってゴミが減り、生き物の種類も増え、
一時絶滅していた天然のアユが数百万匹も遡上するようになりました。

そこで再び、現在の子どもたちを連れて行き、理想の川を考えさせるとどうでしょう。
20年前の川と比べたら、かなり問題は解決されているのですが、
1位はやはり『水をきれいにする』2位は『ゴミを少なくする』でした。
見せているものはまったく違うのに、同じような答えしか返ってこない…。
なぜだろう、これでは、将来豊かな川になるのかと疑問に思いました。

 でも地域のお年寄りに昔の話を聞いた時、その理由がわかってきました。

 昔の多摩川はもっと緑が多く、あちこちに湧き水があって、
本流は豊かな水が大きくうねっていました。
瀬や淵にいろいろな魚が群れ、ワサビ田や小川が多様な自然をつくり、
沢ガニや淡水シジミ、平家ボタルも見られたそうです。

 お年寄りは、本当の自然を知っていて、そこでカニをとったり、
小魚を釣ったりして遊んでいたのです。

今の子どもは、近くの川がそんな素晴らしい場所だったなど知るはずもないし、
まして、遊んだり、体験したりがほとんどないのです。
基準にする自然がわからないのです。

教えなければわからないし、経験しなければ育たない、それがエコの心です。

未来の環境を創る子どもたちの心のより処となるような、美しい自然を、
今のうちにたくさん見せて、たくさん体験させてあげましょう。

子どもたちを本物の自然に触れさせること、体験させることは、とても大事。
未来の地球の基準を作ることなのです。
posted by カメ先生 at 11:49| Comment(0) | 日記

ボランティアの第一歩

kyouikuzukan.jpg 読売新聞ほうむたうん 2009年12月号掲載



 最近は小中学校でも勤労奉仕の体験をさせたり、
障がい者や老人ホームの施設にボランティアに行ったり、
多様な活動を行っているようです。

介護の仕事や海外の恵まれない子どもにも、
いっそう目を向けるようになり、意識も高まってきています。

 しかしその一方で、「自分さえよければあとはどうでもいい」とか、
「人の嫌がる仕事はなるべくやりたくない」という、
自己中心的な傾向も子どもたちの中に増えているような気がします。

 施設や海外に目を向けることも大事ですが、私は少し順番が違うのでは?と思うのです。
まずは、友だちや、家族など身近な人間関係の中で、
人のために動くことがボランティアの第一歩ではないのでしょうか?

 日頃子どもの様子をうかがっていると、よく次のような場面を目にします。

 例えば、一生懸命遊んでいるときは協力しあうが、
いざ片付ける時になると互いに仕事を押し付け合い、さっさと帰ってしまう。
班活動をするときに、プリントを取りにいったり、
実験の準備をすることをやりたがらず、弱い子に押し付ける。
これは、成績の良い悪いなどに関わらず、どこのクラスでも見られるのです。

 このようななんでもないことが出来ないで、
誰が他の人たちに手を差し伸べられるというのでしょうか。

 私たち大人は、つい子どもたちに、静かにしていなさい、みんなと同じことをしなさいと言いがちです。
その結果、おしゃべりをしない、みんなと違うこともしない、
でも、面倒なこともひとり目立つこともしない、
自分を犠牲にするようなことも一切しない子どもを生み出しているような気がしてならないのです。
 おとなしく、じっとしていれば叱られないし、
よけいな仕事をもらって損をすることも無い「なにもしないよい子ちゃん」になっているのです。

 人の嫌がることや、自分を犠牲にすることも、決して損をすることばかりではありません。
子どもだって充分人の役に立ち、その結果、成就感や充実感を得ることができるのです。

 無駄なおしゃべりをせず、みんなと同じことができるようになったら、
さらに次のレベルを目指して、人に役立つことも進んで出来るようにしましょう。
他人を思いやり、自分から進んで行動することこそが、ボランティアの第一歩なのですから。
posted by カメ先生 at 11:46| Comment(0) | 生活